RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

08
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

不良牧師アーサー・ホーランドのブログ。

Walk Across Japan
12
今日 


《 幼 き 頃 》


『 想い出は時空を超えて、幼き頃の我に出会わせてくれる 』


見上げると、青い空に白い雲、左手には、薄茶色の大地の上に緑の

草原が広がる。更に、山々も濃い緑の衣に身を包み、優しく微笑ん

でいる。右手には、眩しく銀色に輝く大海原が広がっている。其の

遥が向うで、神秘のオーラを、品のある美しき羊蹄山が放っている。


5号線を北上しながら、上も下も、右も左も、前も後ろも、自然界

が、この俺を包んでいる。我が五感、六感を刺激し、魂は止むなく

ロックンロールされる。そしてこの俺も、自然の一部である事を自

覚させられる。


海岸沿いを歩いていると、潮風が磯の香りを、俺のもとに運んでく

れる。其の香りは、忘れていた懐かしき想い出を、再び、今起きて

いるが如く、我が脳裏に写し出してくれる。


小学生になった許りのまだ小さい頃、俺の家族はある時期、葉山の

海を見渡せる、丘の上の素敵な一軒家に住んでいた。俺は夏になる

と、浮き袋を、小さな腕の脇の下に抱え、磯の匂いが香る湘南の海

へとよく出掛けて行った。俺は一日中、海と戯れ、海と遊んだ。


海の荒々しさも、其の優しさも……海に揉まれ、海を恐れ、海を楽

しみ、海に笑い、そして、涙した。

海は何時しか、俺にとっては欠かせない友となったのである。


あれからもう半世紀の時が過ぎ去ってしまったが、振り返ると人生

の処々で、海は行き詰まった俺を慰めてくれた。

また言い様のない悩みを抱えていた俺を、優しく包んでくれた。そ

して今も、海は俺にとって、欠かす事が出来ない友なのである……。


そんな想いを巡らしながら歩いていた俺は、八雲町から長万部に辿

り着いた。想い出が過去と現在を一つにし、時間と空間を越えて、

我が魂が解放された一日の様であった。


『 海と戯れ、海と遊ぶ。海は、俺の笑いも涙も知っている 』

2012.8.19  アーサー・ホーランド


昨日の写真









| 旅先から | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japan
12
今日


 《 天 の 故 郷 》


『 人はみな、何れは天の故郷へと帰る、旅人なのである 』


鮭が本能によって、大海原を旅して産まれた場所に、川を遡って帰

って来る様に、人は、己の生まれ故郷を愛おしく思うのである。我

等はみな、地上に故郷を持っているのである。然れど我々は、地上

では旅人にすぎないのである。我が心は其れを知っている様である。


何れは土に帰る我が身でさえ、魂は天の故郷を慕い求めているので

ある。ならば、我等の地上での旅は、何れ天の故郷に帰る予行演習

なのかも知れない。我が身は、己の地上での故郷を愛おしく想い、

我が魂は、天の故郷を愛おしく想うのである。我が身は何れ朽ち果

て土に帰り、我が魂は生きて天に帰るのである。


人は、澄んだ空を見上げるのが好きなのである。夜空の星を見て、

涙するのである。また、夜空に輝く月や星は、人に、希望を捨てる

事の無い様に、教えてくれるのである。いずれ訪れる死という闇を

恐れるのでは無く、闇に輝く、光なる命がある事を知らされるので

ある。


人生の旅路には、出会いと別れは付きものである。人はみな、娑婆

の中で笑い、涙し、楽しみ、悲しむのである。人の死は地上での旅

の終わりを告げ、其の告別は、亡き人の魂は、天の故郷へと凱旋す

る事に気付かされるのである。


今回の十字架行進を通して、我が身も、地上では旅人である事を自

覚させられている様である。また、日本列島をこの身で歩きながら、

魂は何れ帰るべく故郷を、慕い求めている様でもある。


昨日は大沼公園を出発し、八雲町まで、美しい海岸沿いを歩いた。
わってみると35kmの距離を、8時間近く掛けて歩いていた。新聞
出た影響もあって、歩道で声を掛けて下さった方が15人以上もい
た。
途中でサッカーボールを蹴りながら、ドリブルで北海道から沖縄
向かっている22才の青年や、リヤカーを引っ張って進んでいる、
74
才の老人にまで出会う事が出来た。


人は様々な思いと、また、ときめきが志となって旅するものである。

この青年も、老人も、何かによって魂が揺り動かされ、旅せずにはい

られなくなったのである。人は旅する生きものなのである。人は家で

じっとするより、旅に出てじっとしたいのである。そして地上での旅

は、何れ、己が天に旅立って行く旅人でもあることを、自覚させてく

れるのである……。


『 旅路には、出会いと別れがある。

   笑いに涙、喜びに悲しみ……がある。旅に疲れ果てた時、

      人は、天の故郷に何れは帰る、旅人であることを知る 』

2012.8.18  アーサー・ホーランド


<本日の予定>
八雲町 ➔ 長万部町  

( 国道5号線・他)

昨日の写真










| 旅先から | 09:46 | comments(2) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japan
12
今日




 《 突 破 》


『 人生にはブレイクスルーが求められる。

   それは、己を閉じ込める型からの突破である 』


昨日は、函館から5号線を北上しながら、森方面へと向かった。

途中、大沼公園を横切り、美しい駒ヶ岳を見上げながら、楽しく

快適に歩く事が出来た。気温も心地好く、本州を歩いた時よりも

10度以上も低く、壮快な気分で35kmの距離を歩めた。


北海道は道も広く、自然界が壮大で、其の豊かさを象徴する緑が

美しく、山々もまた本土とは違った存在感を醸し出している様に

も見える。昨日は我が足も水を得た魚の如く、上り下りの峠も何

処吹く風の様に、軽快なステップとリズムで歩く事が出来た。


600km以上を残しての、ラストスパートでは無いが、一週間の休

足を入れても後一ヶ月余り、また歩く日数も、宗谷岬まで20日間

もあるかないかの処まで進んで来たのである。この残された行程

を、足で踏み締め味わいながら歩んで行きたく思う。

我が五感、六感を、更に刺激されたいと願っている。


『 不安は情熱を高め、安定は情熱を殺す 』とプルーストは述べて

いるが、人間は不安がある方が感性が磨かれる様である。

今の世の中が求める、安心で安全で便利な社会が、逆に人の本来刺

激されるべき感性を、鈍らせて仕舞っているのかも知れない。


人には不安や不幸、或は予期しない、想定外の出来事が起こるもの

である。人生に訪れる苦しみや悲しみ、また嘆きや挫折が、其の人

本人の中に、忘れ去られている本質を目覚めさせる切っ掛けに成り

得るのである。


多くの人々は、孤立とマンネリズムの生き方という、型に嵌って仕

舞っているのである。生活面では何の支障も無く安定しているのに、

生かされている感動をなくしてしまっているのである。

其の様な型を破って、ブレイクスルーする必要があるのである。

型に嵌った人間から、型破り人間を目差してみると好い。


己の中にある勇気を以て挑戦する『 我 』自身が、其の存在価値を現

す事が出来る様になれるのである。『 一枚の傑作を描く事より、も

っと重要なのは、其の描いた人が、何の様な人間なのかである 』と

言ったのはピカソだが、今の時代は、其の人の姿を見る事が出来ても、

其の人自身が見えないのである。


ブレイクスルーは、其の人自身の本来の『 らしさ 』が現されて行く

事でもあるのだ。俺自身に残されているこの一ヶ月余りの北での時が

新たな意味に於いて、己自身の脱皮に繋がり、それが新たな己の発見

に繋がって行く事を切に願っているのである。


さあ、今日も北海道の道が俺を待っている。

己との挑戦に、いざ出陣である。


『 作り上げたものが壊されても心配御無用

   貴方が居る限り、新たな創造の業は必ず起きるのである 』

2012.8.17  アーサー・ホーランド


<本日の予定>
森町駒ケ岳付近 ➔  

( 国道5号線・他)

昨日の写真


| 旅先から | 10:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japan
12
今日                         函館上陸




《 後 ろ 姿 》


『 何でも彼でも、語れば良いと言うものでは無い。

   何も語らない方が美しいこともある 』


北へと向かう事は何故か寂しい面がある。北のイメージと言うもの

があるからかも知れない。一般的に、北は寒い処、或は人気(ひと

け)の余り無い処、と言う風に思われている部分があるのだろう。


函館から宗谷岬までの残り660kmを、いよいよ今日から北上して行

くのである。広がる自然界の大地の中を、我が身を浸しながら、其

の寂しさに浸り乍ら、舞台の千秋楽を迎える役者の様な気分である。


方角に東西南北がある様に、季節には春夏秋冬がある。そして、気

質には喜怒哀楽があるのである。季節はある程度の読みが出来るが、

気質となると、人間の感情や性格は一筋縄では行かないものである。


春は愛らしさを感じ、夏は楽しさを味わう。秋は愁えを覚え、冬は寂

しさと切なさに包まれるのである。北上して行く事は、この秋と冬に

向かって進んで行く様な気持ちにならないでもない。


『 冬来たりなば春遠からじ 』と言う言葉がある様に、人生には、切

なさや悲しみ淋しさは、望まなくても訪れるものである。『 深く悲し

んだ人ほど、強く喜ぶ事が出来る。沢山涙を流した人ほど、多く笑う

事が出来る 』のである。生きていれば色々な事があるものである。


己の蒔いた種であれ、人の不条理で蒔かれた種であれ、其の訪れた悲

しみ苦しみは無駄では無く、全て己の人間としての成長に役立つ肥や

しなのでる。『 耐 える事と行動する事、このどちらかでも、人は成

長できる 』と述べたのは『 夜と霧 』の著者V・フランクルである。

人生には、行動を以て示して行かなければならない事があったり、何

も言わずに、黙って堪えなくてはならない事もある。


其の様な時は、何故か背中が語ってくれるのだろう。何時しか映画の

『 パッション 』で観たジーザスの姿より、俺は小さい頃観た『 ベン

ハー 』の中でのジーザスの後ろ姿が忘れられない。あのジーザスの切

なく映る後ろ姿は、訪れる十字架の受難を、語らずに語っているので

ある。


人生の旅路には、寂しさ悲しさは付きものなのである。何も言わず、何

も語らず、問題の、山や谷や峠や川を、越えて行かなくてはならない時

がある。己の心の痛みや体の痛みを説明しても、人々には分から無いも

のである。また分って貰おうとすること自体に無理がある。ただ黙って

前を見据えて、一歩一歩じっくりまたゆっくり進むしか無いのである。


あの淋しさ、あの孤独を、ジーザスは言葉で語らず、背中で見せてくれ

たのである。そう言えば日本の諺の中にも『 男は背中で語る 』と言う言

葉がある。北へ向かう俺の後ろ姿は何を語って行くのだろう。それは俺

にも分から無いのである。

ただ一つ今言える事は、『 俺は前向きにしか進まない 』のである。


『 先より後、表より裏、前より後ろ姿

   人には見えない処に、苦しみ悲しみがあるものだ

    人は何も言わない方が美しいのである 』

2012.8.16  アーサー・ホーランド


<本日の予定>
北海道:函館港北埠頭 ➔  

( 国道5号線・他)

昨日の写真



                          津軽海峡
| 旅先から | 10:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japan
12
今日 






《 愚 痴 》


『 正しいとか間違いでは無く、好きか嫌いなのである 』


人生には人に理解されずに、誤解される事がある。人は俺の事を分

っている様で、実は、全然分っていないのである。ある人は妬み、

ある人は中傷、誹謗する。人は好き勝手な事を、好き勝手に言うの

である。


『 言葉 』は厄介なもので、人とのコミュ二ケーションを取る手段

だが、思っている事が思っている様に伝わらず、理解される様に努

めても、誤解したい人は誤解するのである。所詮人間と言うものは

『 物事を、自分が勝手に、解釈したい様に解釈するのだ 』と言う

事を、長年の経験の中で味わされてきたのである。


だからもう、人に理解して貰おうとは思わない。人との関係は、俺

に取っては厄介なものになって仕舞ったのである。分から無い人に

は分から無いのである。人生には、合う合わないと言うものがある

のである。『 正しい 』とか『 間違い 』の二者択一の価値観でしか

生きて行けない人には、俺の生き方は分から無いと思う。


俺は『 正しい 』と『 間違い 』の狭間で考え、悩み、葛藤と没頭を

繰り返しながら、答えを灰色の中で見出そうと奮闘している、求道

者にすぎないのである。だから、人生の答えを既に持っている人に

とっては、俺と言う存在は、煙たい存在になって仕舞うのである。


煙たい存在で結構なのである。言いたい様に言えばいいのである。

ほざきたい様にほざけば好いのである。俺には其の様な人に時間を

費やす暇は無いのである。残された俺の『 時 』は、そんなに長くは

無いのである。だから悲観的な、また批判的な人達と付き合ってい

る隙が無いのである。


悪く思わないで欲しい。俺は残された命を、精一杯、葛藤しながら必

死に生きているだけなのである。

今回の十字架行進の俺のモットーは『 語らずにして語る 』である。

しかし、こんなにも俺は、既に語ってしまったのである。


ブログにメッセージを書く事は、実は俺には矛盾なのである。別に、

本当は書かなくてもいいのである。『 書く 』と言う事は『 伝える 』

『 届ける 』と言う事になって仕舞うのである。己の日記の様なつもり

で書いてきたブログにも、実は嫌気が差す時がある。俺の遣っている

事は、俺が分かっていれば好いのである。人に言う必要は、実はない

のである。


俺は我が儘な人間である。其の我が儘な俺を、応援して欲しいとも願っ

ていないのである。こんな阿呆な奴が居て、あんな阿呆な事をしている

と、笑いの種にすればいいのである。世が如何であれ、人が如何であれ、

俺の心のときめくまま、今日も一歩一歩前進するのみである。


『 今日のこの日が、自分の最後の日になるかもしれない。

   ならば、今日を自分らしく生きるしかない 』

2012.8.15  アーサー・ホーランド



<本日の予定>
青森港 ➔ 函館港 



昨日の写真






| 旅先から | 09:19 | comments(2) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japa
12
今日




 《 墓 参 り 》


『 墓磨く 老婆を包む 林檎園 』


あれから、もう何年経っただろうか。丁度今の様な盆の時期で

あった。鉄馬(バイク)を駆って北海道に向かう途中であった。

林檎の匂いが香る津軽平野を、大好きな岩木山を眺めながら、

また、心地好い日差しを肌に感じながら、愛馬を馳せていた。


V・TWINが奏でるエンジンの音と、体中に響き渡る振動を受け

て、何とも言えない気分を満喫していたのである。

するとふっと、お寺の横にある墓地の中に、ひとりの老婆を見

掛けたのである。


一見、農婦だと思われる日焼けしたこの老婆は、汗を流しなが

ら、一生懸命に墓を磨いているのである。鉄馬を駆って進む俺

が、ふっと見たこの老婆の姿が、我が胸の中に強い印象となっ

て焼き付いて仕舞ったのである。

『 この老婆は一体、誰の墓を磨いているのだろうか 』と、俺

の思いは巡ったのである。


ともすれば老婆の亡くなった夫の墓なのだろうか。それとも若い

時に亡くした、息子、娘、の墓なのだろうか。または父母の墓な

のだろうか……。

何時しか近い将来、己自身が入るだろうと思われる墓を、この老

婆は磨いていたのである。


俺の心を魅了したあの美しい老婆の姿は、俺の心の中に『 日本人

っていいなぁ…… 』と言う感動を覚えさせてくれたのである。其

れは、老婆が墓に対して執着心を持っているからではなく、先祖

に対しての、畏敬の念を抱いている事を、俺に感じさせてくれた

様に思えたからなのである。


俺達は『 偶然 』に生きているのではなく、御蔭で生きているので

ある。己が偶然に、ひとりで生きているのでは無く、何千年という

歴史の中を、先祖の血を受け継いで、今の自分があると言う事を忘

れたくないものである。


先祖を敬う事こそ、其の先祖を与えてくれた、全知全能なる神を敬

う事に繋がって行くのである。人の御蔭を忘れるものは、神の御蔭

をも忘れるのである。


昨日は其の様な思いを巡らしながら、十字架を担いで、懐かしき津

軽平野を歩いた。雨が激しく降り注いでいた。

大好きな岩木山の姿は雨雲に包まれ、見る事が出来なかった。

さあ、今日は本州を歩く最後の日である。


『 命は尊いものである。

   自分だけのものでは無い。

      先祖から授かったものである。』

2012.8.14  アーサー・ホーランド 


<本日の予定>
青森市鶴ヶ坂山本 ➔ 青森港フェリーターミナル 

( 国道7号線・他 )


昨日の写真









| 旅先から | 09:49 | comments(1) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japan
12
今日 




《 勝 負 》


『 勝負の世界では、勝ち負けは付きものである。

   大切なのは、其の結果に至る過程なのである 』


オリンピックも閉会式を迎えた。涙と、感動と、手に汗握る二週

間も、幕を閉じる日が遣って来た。ある人にとっては、眠れる夜

が再び戻って来る。勝負の結果は分り易く、勝利の歓喜もあれば

敗北の悲しみに涙するものもあった。然れど、選手一人一人が全

身全霊で戦う其の姿は、我等の心を熱くしてくれたのである。


考えてみるとオリンピックの戦いは、二週間足らずで終わってし

まうが、我々の日常の戦いは死ぬ迄続くのである。

オリンピックも見方を変えれば、世の民主主義、また資本主義の

祭りの様にも見えなくは無い。


其処に勝者と敗者がいる限り、いくら平和の祭典と言えども、世

の中に流れる勝ち組や負け組の、価値基準の原型を垣間見せられ

る様な気もしないではない。何はともあれ、与えられた感動にケ

チをつけるのではないが、マスコミ達の選手の捉え方に違和感を

覚えるのは俺だけであろうか。


何れにせよ、選手達のオリンピックは終わろうとしているが、人

生の戦いは、彼らにも私達にも続いて行くのである。栄光の目標

に向かって突き進むアスリートの使命感、また其れによって求め

られる献身的な姿勢、そして、全身全霊をもって取り組む処から

産まれる体力や精神力。アスリートは身を以て其れをみせてくれ

たのである。


私達に取っては競技場が我が職場に代わり、ボクシングやレスリ

ングに似た、目には見えない格闘が、日々の生活の中で繰り広げ

られて行くのである。


十字架を担いで進む俺の挑戦も、今日から再び始まる。宗谷岬は

もう遥か彼方では無く、650km程先の地点にある。後、休みを入

れると、20日近く歩くだけの距離となった。気張らず驕らず一歩

一歩、じっくりまたゆっくり、目標を目差して進んで行きたく思う。

みなさんの気と祈りも、よろしく送ってください。


『 戦う場所が変わっても、戦いはこれからも続く。

   そして最大の戦いは、己自身との戦いである 』

2012.8.13  アーサー・ホーランド

| 旅先から | 12:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japan
24
今日 


《 自 然 法 爾 》 (じねんほうに)


『 人は土から生まれ、再び土に帰るのである 』


明日は青森に戻り、昼辺りから再び歩き始める。本州の最終地点

まで、後30kmを残す許りである。明日と明後日は、足を慣らしな

がらの試運転である。

15日にはフェリーに乗って、いよいよ北海道の函館に入る。


『 千里の道も一足づつ… 』の心境である。正に、一歩一歩の『 積

み重ね 』なのである。人生は走り抜くのではなく、歩み抜くので

ある。焦らず慌てず、じっくりまたゆっくり、一歩そしてまた一歩

と、進めばいいのである。


『 塵も積もれば山となる 』では無いが、前を見据えて足を前に、

一足一足踏み出す行為が、此所まで俺を運んで来てくれたのである。

地味な、地道な、日々の行動の繰り返しなのである。『 忙しい 』

と言う字は心を亡くすと書くが、人が生活すると、何処か忙しくな

って心を亡くして仕舞うのである。


また亡くす心と書いて『 忘れる 』と読むが、己の存在価値まで、

忙しさは忘れさせてしまう程、己を見失わせて仕舞うのである。

『 忙しい 』と言う気持ちは、自然界を頓(ひたすら)歩いている

と、其の長閑さの中に、其の小川のせせらぎの中に、そして、其

の蝉の音の中に、溶かされ消し去られて仕舞うのである。


『 人は自然から離れた時に、病む者となった 』とゲーテは述べて

いるが、人は何処かで本能的に、鮭が大海原から川を上って、産ま

れた場所へと再び長い旅を終えて帰って来る様に、人も失った自分

自身を取り戻す為に、自然へと帰って来るのではないだろうか。


其処で再び自分の存在価値を取り戻し、本来の自分の『 在るべき姿 

』に立ち返ろうと願っている様に俺には思えてならない。

漱石は『 山道を登りながら 』考え、武蔵は『 まよいの雲の晴れた

るところ… 』と山奥で悟るのである。また、長明は『 岸辺に立って

川の流れ 』を見詰め、そして『 星の王子様 』で知られるA・サンテ

クジュペリは砂漠の中で『 ものは心で見る 』ことを知るのである。


貴方が忙しさを感じた其の時に、自然が貴方を招いていることを、忘

れることがない様に……。


『 自然が君を呼んでいる。

  「 此処で安らぐといい 」と君を呼んでいる 』

2012.8.12  アーサー・ホーランド

| 旅先から | 12:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japan
24
今日


 《 美 学 》


『 語らずにして語る。これぞ窮極の表現なり 』


あれは何時の日だったのであろうか、確か、浜松に向かって歩い

ていた時の事であった。其の日は、雨が激しく降り注いでいた。

十字架を担ぎながら、視界もあまり良く無い静かな田舎道を、只

頓(ひたすら)一歩一歩、俺は歩いていたのである。


すると、ひとりの男性が、雨の中を傘もささずに、濡れながら歩

み寄って、そして俺に「 アーサー・ホーランドさんですよね 」

と、問い掛けるのである。

十字架を背負って歩いていた俺は、立ち止まって、十字架を肩の

上から下ろして「 はい、そうですよ 」と彼に答えたのである。


其の瞬間、何と彼は俺に抱き着いて号泣して仕舞うのである。

何が起きているのかがさっぱり分から無い俺は、彼を抱き締めて

泣き止むのを待ったのである。


彼は、今年一月に心臓病を煩い、手術を受けたのである。退院し

た後、会社が経営難に落ち入り、将来に対しての不安に魘われて

にまでなってしまったのである。何を信じていいのか分らず、

仕事も手に付かず、引き蘢り気味になっていたのである。


彼は、普段あまり車で走る事が無い一号線を、気を紛らわす為に

何気無くドライブしていたのである。すると其の一号線を、十字

架を担いで、北上しながら歩いている俺を見掛けたのである。


二年前に話しを聞いて俺の事を知っていた彼は、「 アーサーはこ

んなに頑張っているのに、俺は何をくよくよしているのか 」と、

衝撃を受け、「 俺も前向きに生きよう 」と心が熱くなったという

のである。


其の『 遣る気 』を起こさせてくれた俺に、「 有り難う 」と『 御

礼 』を、雨の中、言いに来てくれたのである。

不思議なもので、俺はそんな彼の境遇も知らずに、あの一号線をた

だひたすら歩いているだけだったのである。


何処で、誰が、如何、観ているかは、俺には分らない事である。し

かし彼にとっては『 無言 』で歩いている俺の姿が、彼の抱えていた

重い問題を乗り越えて行く為の切っ掛けになったと言うのである。

『 語らずにして語る 』を美学にしている俺にとっては、無言の姿だ

けでも、その存在感だけでも、何かが人に伝わるのだと言う、事実を

確認させられた出来事であった。


『 心に満ちているものは、野の花の様に、

   何も言わなくても、香りの様に漂うのである 』

2012.8.11  アーサー・ホーランド

| 旅先から | 12:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japan
13
今日


 《 読 書 》


『 これで終わりなのでは無い。これが始まりなのである 』


日本列島を、沖縄から北海道に向かって歩いていると、日々色々

な人達と出会う。『 一人の人との出会いは、百冊の本を読むの

に優る 』と言う言葉を、以前耳にした事がある。


読書好きの俺も此所半年近くは、ゆったりと本を読む事より、一

日中じっくり歩く事に時間を費やしている。本の頁を捲る代わり

に、日本の道をひたすら歩いているのである。


しかし歩く事も不思議なもので、読書の時の様に、考える、思い

巡らす、刺激を受ける、気付かされる、学ぶ、のである。自然界

を眺めているだけで、心は言い様のない感動を受けるのである。

魂は時空を越えて宇宙を巡るのである。


感性は研ぎ澄まされ、毛穴から『 いのち 』が体中に刺激となって

流れ回るのである。また、道中の人との出会いは、文学書を読んで

いる様に『 生きる事 』とは、と言うテーマを考え覚えさせられる

のである。


あれは何時の日だっただろうか、そして何処だったのだろうか、何

時の間にか知らない内に、歩いている俺の後ろに、小さな子供とそ

のお父さんらしき人が静かに歩いているのである。其の事に気付い

た俺に其のお父さんが「 しばらく一緒に歩いてよろしいでしょうか 」

と丁重に訪ねるのである。俺は「 勿論ですよ 」と答えたのである。


歩きながら其のお父さんは、自分の身の上を明かしてくれた。暴力

団の組織に居た事や、足を洗って風俗の仕事を経営していた事、其

処で働いている女性と一緒になった事、そして今、子供と二人だけ

で生活している事など……。


歩きながら色々な事、また様々な思いを、彼は俺に話してくれたの

である。自分の釦の掛け違いの人生が、必死に生きようとする彼を

悲劇の人生へと導いて行くのである。人の心は確かに善と悪の意識

があり、心のピュアーな思いは、どろどろとした欲望の世界へと身

を沈めて行って仕舞うのである。


しかし人は、沈んで溺れている時に、また苦しみもがいている時に、

初めて『 如何生きて行きたいのか 』と言う問いに、答えを見出した

いと思うのである。其の様な境遇の中に彼はいたのである。


歩きながら、本を読む様に、俺は彼の半生を読書した様に思えた。

人間は、自分の弱さや人の不条理によって、失敗や挫折、そして屈辱

の繰り返しを味わって仕舞うものである。俺は其の様な人に出会う度

に、またある時は俺に対してもこう言うのである。

『 これが終わりでは無い。これが始まりなのだ 』と……。


失敗もあれば遣り直しも出来る。それが人生である。

そして誰もが人生のストーリーであり、小説なのである。


『 誰一人として、無駄な人間はいない。

       一人一人がストーリーなのである 』

2012.8.10  アーサー・ホーランド

| 旅先から | 11:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |