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不良牧師アーサー・ホーランドのブログ。

Walk Across Japan
12
今日 


《 幼 き 頃 》


『 想い出は時空を超えて、幼き頃の我に出会わせてくれる 』


見上げると、青い空に白い雲、左手には、薄茶色の大地の上に緑の

草原が広がる。更に、山々も濃い緑の衣に身を包み、優しく微笑ん

でいる。右手には、眩しく銀色に輝く大海原が広がっている。其の

遥が向うで、神秘のオーラを、品のある美しき羊蹄山が放っている。


5号線を北上しながら、上も下も、右も左も、前も後ろも、自然界

が、この俺を包んでいる。我が五感、六感を刺激し、魂は止むなく

ロックンロールされる。そしてこの俺も、自然の一部である事を自

覚させられる。


海岸沿いを歩いていると、潮風が磯の香りを、俺のもとに運んでく

れる。其の香りは、忘れていた懐かしき想い出を、再び、今起きて

いるが如く、我が脳裏に写し出してくれる。


小学生になった許りのまだ小さい頃、俺の家族はある時期、葉山の

海を見渡せる、丘の上の素敵な一軒家に住んでいた。俺は夏になる

と、浮き袋を、小さな腕の脇の下に抱え、磯の匂いが香る湘南の海

へとよく出掛けて行った。俺は一日中、海と戯れ、海と遊んだ。


海の荒々しさも、其の優しさも……海に揉まれ、海を恐れ、海を楽

しみ、海に笑い、そして、涙した。

海は何時しか、俺にとっては欠かせない友となったのである。


あれからもう半世紀の時が過ぎ去ってしまったが、振り返ると人生

の処々で、海は行き詰まった俺を慰めてくれた。

また言い様のない悩みを抱えていた俺を、優しく包んでくれた。そ

して今も、海は俺にとって、欠かす事が出来ない友なのである……。


そんな想いを巡らしながら歩いていた俺は、八雲町から長万部に辿

り着いた。想い出が過去と現在を一つにし、時間と空間を越えて、

我が魂が解放された一日の様であった。


『 海と戯れ、海と遊ぶ。海は、俺の笑いも涙も知っている 』

2012.8.19  アーサー・ホーランド


昨日の写真









| 旅先から | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japan
12
今日


 《 天 の 故 郷 》


『 人はみな、何れは天の故郷へと帰る、旅人なのである 』


鮭が本能によって、大海原を旅して産まれた場所に、川を遡って帰

って来る様に、人は、己の生まれ故郷を愛おしく思うのである。我

等はみな、地上に故郷を持っているのである。然れど我々は、地上

では旅人にすぎないのである。我が心は其れを知っている様である。


何れは土に帰る我が身でさえ、魂は天の故郷を慕い求めているので

ある。ならば、我等の地上での旅は、何れ天の故郷に帰る予行演習

なのかも知れない。我が身は、己の地上での故郷を愛おしく想い、

我が魂は、天の故郷を愛おしく想うのである。我が身は何れ朽ち果

て土に帰り、我が魂は生きて天に帰るのである。


人は、澄んだ空を見上げるのが好きなのである。夜空の星を見て、

涙するのである。また、夜空に輝く月や星は、人に、希望を捨てる

事の無い様に、教えてくれるのである。いずれ訪れる死という闇を

恐れるのでは無く、闇に輝く、光なる命がある事を知らされるので

ある。


人生の旅路には、出会いと別れは付きものである。人はみな、娑婆

の中で笑い、涙し、楽しみ、悲しむのである。人の死は地上での旅

の終わりを告げ、其の告別は、亡き人の魂は、天の故郷へと凱旋す

る事に気付かされるのである。


今回の十字架行進を通して、我が身も、地上では旅人である事を自

覚させられている様である。また、日本列島をこの身で歩きながら、

魂は何れ帰るべく故郷を、慕い求めている様でもある。


昨日は大沼公園を出発し、八雲町まで、美しい海岸沿いを歩いた。
終
わってみると35kmの距離を、8時間近く掛けて歩いていた。新聞
に
出た影響もあって、歩道で声を掛けて下さった方が15人以上もい
た。
途中でサッカーボールを蹴りながら、ドリブルで北海道から沖縄
に
向かっている22才の青年や、リヤカーを引っ張って進んでいる、
74
才の老人にまで出会う事が出来た。


人は様々な思いと、また、ときめきが志となって旅するものである。

この青年も、老人も、何かによって魂が揺り動かされ、旅せずにはい

られなくなったのである。人は旅する生きものなのである。人は家で

じっとするより、旅に出てじっとしたいのである。そして地上での旅

は、何れ、己が天に旅立って行く旅人でもあることを、自覚させてく

れるのである……。


『 旅路には、出会いと別れがある。

   笑いに涙、喜びに悲しみ……がある。旅に疲れ果てた時、

      人は、天の故郷に何れは帰る、旅人であることを知る 』

2012.8.18  アーサー・ホーランド


<本日の予定>
八雲町 ➔ 長万部町  

( 国道5号線・他)

昨日の写真










| 旅先から | 09:46 | comments(2) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japan
12
今日




 《 突 破 》


『 人生にはブレイクスルーが求められる。

   それは、己を閉じ込める型からの突破である 』


昨日は、函館から5号線を北上しながら、森方面へと向かった。

途中、大沼公園を横切り、美しい駒ヶ岳を見上げながら、楽しく

快適に歩く事が出来た。気温も心地好く、本州を歩いた時よりも

10度以上も低く、壮快な気分で35kmの距離を歩めた。


北海道は道も広く、自然界が壮大で、其の豊かさを象徴する緑が

美しく、山々もまた本土とは違った存在感を醸し出している様に

も見える。昨日は我が足も水を得た魚の如く、上り下りの峠も何

処吹く風の様に、軽快なステップとリズムで歩く事が出来た。


600km以上を残しての、ラストスパートでは無いが、一週間の休

足を入れても後一ヶ月余り、また歩く日数も、宗谷岬まで20日間

もあるかないかの処まで進んで来たのである。この残された行程

を、足で踏み締め味わいながら歩んで行きたく思う。

我が五感、六感を、更に刺激されたいと願っている。


『 不安は情熱を高め、安定は情熱を殺す 』とプルーストは述べて

いるが、人間は不安がある方が感性が磨かれる様である。

今の世の中が求める、安心で安全で便利な社会が、逆に人の本来刺

激されるべき感性を、鈍らせて仕舞っているのかも知れない。


人には不安や不幸、或は予期しない、想定外の出来事が起こるもの

である。人生に訪れる苦しみや悲しみ、また嘆きや挫折が、其の人

本人の中に、忘れ去られている本質を目覚めさせる切っ掛けに成り

得るのである。


多くの人々は、孤立とマンネリズムの生き方という、型に嵌って仕

舞っているのである。生活面では何の支障も無く安定しているのに、

生かされている感動をなくしてしまっているのである。

其の様な型を破って、ブレイクスルーする必要があるのである。

型に嵌った人間から、型破り人間を目差してみると好い。


己の中にある勇気を以て挑戦する『 我 』自身が、其の存在価値を現

す事が出来る様になれるのである。『 一枚の傑作を描く事より、も

っと重要なのは、其の描いた人が、何の様な人間なのかである 』と

言ったのはピカソだが、今の時代は、其の人の姿を見る事が出来ても、

其の人自身が見えないのである。


ブレイクスルーは、其の人自身の本来の『 らしさ 』が現されて行く

事でもあるのだ。俺自身に残されているこの一ヶ月余りの北での時が

新たな意味に於いて、己自身の脱皮に繋がり、それが新たな己の発見

に繋がって行く事を切に願っているのである。


さあ、今日も北海道の道が俺を待っている。

己との挑戦に、いざ出陣である。


『 作り上げたものが壊されても心配御無用

   貴方が居る限り、新たな創造の業は必ず起きるのである 』

2012.8.17  アーサー・ホーランド


<本日の予定>
森町駒ケ岳付近 ➔  

( 国道5号線・他)

昨日の写真


| 旅先から | 10:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japan
12
今日                         函館上陸




《 後 ろ 姿 》


『 何でも彼でも、語れば良いと言うものでは無い。

   何も語らない方が美しいこともある 』


北へと向かう事は何故か寂しい面がある。北のイメージと言うもの

があるからかも知れない。一般的に、北は寒い処、或は人気(ひと

け)の余り無い処、と言う風に思われている部分があるのだろう。


函館から宗谷岬までの残り660kmを、いよいよ今日から北上して行

くのである。広がる自然界の大地の中を、我が身を浸しながら、其

の寂しさに浸り乍ら、舞台の千秋楽を迎える役者の様な気分である。


方角に東西南北がある様に、季節には春夏秋冬がある。そして、気

質には喜怒哀楽があるのである。季節はある程度の読みが出来るが、

気質となると、人間の感情や性格は一筋縄では行かないものである。


春は愛らしさを感じ、夏は楽しさを味わう。秋は愁えを覚え、冬は寂

しさと切なさに包まれるのである。北上して行く事は、この秋と冬に

向かって進んで行く様な気持ちにならないでもない。


『 冬来たりなば春遠からじ 』と言う言葉がある様に、人生には、切

なさや悲しみ淋しさは、望まなくても訪れるものである。『 深く悲し

んだ人ほど、強く喜ぶ事が出来る。沢山涙を流した人ほど、多く笑う

事が出来る 』のである。生きていれば色々な事があるものである。


己の蒔いた種であれ、人の不条理で蒔かれた種であれ、其の訪れた悲

しみ苦しみは無駄では無く、全て己の人間としての成長に役立つ肥や

しなのでる。『 耐 える事と行動する事、このどちらかでも、人は成

長できる 』と述べたのは『 夜と霧 』の著者V・フランクルである。

人生には、行動を以て示して行かなければならない事があったり、何

も言わずに、黙って堪えなくてはならない事もある。


其の様な時は、何故か背中が語ってくれるのだろう。何時しか映画の

『 パッション 』で観たジーザスの姿より、俺は小さい頃観た『 ベン

ハー 』の中でのジーザスの後ろ姿が忘れられない。あのジーザスの切

なく映る後ろ姿は、訪れる十字架の受難を、語らずに語っているので

ある。


人生の旅路には、寂しさ悲しさは付きものなのである。何も言わず、何

も語らず、問題の、山や谷や峠や川を、越えて行かなくてはならない時

がある。己の心の痛みや体の痛みを説明しても、人々には分から無いも

のである。また分って貰おうとすること自体に無理がある。ただ黙って

前を見据えて、一歩一歩じっくりまたゆっくり進むしか無いのである。


あの淋しさ、あの孤独を、ジーザスは言葉で語らず、背中で見せてくれ

たのである。そう言えば日本の諺の中にも『 男は背中で語る 』と言う言

葉がある。北へ向かう俺の後ろ姿は何を語って行くのだろう。それは俺

にも分から無いのである。

ただ一つ今言える事は、『 俺は前向きにしか進まない 』のである。


『 先より後、表より裏、前より後ろ姿

   人には見えない処に、苦しみ悲しみがあるものだ

    人は何も言わない方が美しいのである 』

2012.8.16  アーサー・ホーランド


<本日の予定>
北海道:函館港北埠頭 ➔  

( 国道5号線・他)

昨日の写真



                          津軽海峡
| 旅先から | 10:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japan
12
今日 






《 愚 痴 》


『 正しいとか間違いでは無く、好きか嫌いなのである 』


人生には人に理解されずに、誤解される事がある。人は俺の事を分

っている様で、実は、全然分っていないのである。ある人は妬み、

ある人は中傷、誹謗する。人は好き勝手な事を、好き勝手に言うの

である。


『 言葉 』は厄介なもので、人とのコミュ二ケーションを取る手段

だが、思っている事が思っている様に伝わらず、理解される様に努

めても、誤解したい人は誤解するのである。所詮人間と言うものは

『 物事を、自分が勝手に、解釈したい様に解釈するのだ 』と言う

事を、長年の経験の中で味わされてきたのである。


だからもう、人に理解して貰おうとは思わない。人との関係は、俺

に取っては厄介なものになって仕舞ったのである。分から無い人に

は分から無いのである。人生には、合う合わないと言うものがある

のである。『 正しい 』とか『 間違い 』の二者択一の価値観でしか

生きて行けない人には、俺の生き方は分から無いと思う。


俺は『 正しい 』と『 間違い 』の狭間で考え、悩み、葛藤と没頭を

繰り返しながら、答えを灰色の中で見出そうと奮闘している、求道

者にすぎないのである。だから、人生の答えを既に持っている人に

とっては、俺と言う存在は、煙たい存在になって仕舞うのである。


煙たい存在で結構なのである。言いたい様に言えばいいのである。

ほざきたい様にほざけば好いのである。俺には其の様な人に時間を

費やす暇は無いのである。残された俺の『 時 』は、そんなに長くは

無いのである。だから悲観的な、また批判的な人達と付き合ってい

る隙が無いのである。


悪く思わないで欲しい。俺は残された命を、精一杯、葛藤しながら必

死に生きているだけなのである。

今回の十字架行進の俺のモットーは『 語らずにして語る 』である。

しかし、こんなにも俺は、既に語ってしまったのである。


ブログにメッセージを書く事は、実は俺には矛盾なのである。別に、

本当は書かなくてもいいのである。『 書く 』と言う事は『 伝える 』

『 届ける 』と言う事になって仕舞うのである。己の日記の様なつもり

で書いてきたブログにも、実は嫌気が差す時がある。俺の遣っている

事は、俺が分かっていれば好いのである。人に言う必要は、実はない

のである。


俺は我が儘な人間である。其の我が儘な俺を、応援して欲しいとも願っ

ていないのである。こんな阿呆な奴が居て、あんな阿呆な事をしている

と、笑いの種にすればいいのである。世が如何であれ、人が如何であれ、

俺の心のときめくまま、今日も一歩一歩前進するのみである。


『 今日のこの日が、自分の最後の日になるかもしれない。

   ならば、今日を自分らしく生きるしかない 』

2012.8.15  アーサー・ホーランド



<本日の予定>
青森港 ➔ 函館港 



昨日の写真






| 旅先から | 09:19 | comments(2) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japa
12
今日




 《 墓 参 り 》


『 墓磨く 老婆を包む 林檎園 』


あれから、もう何年経っただろうか。丁度今の様な盆の時期で

あった。鉄馬(バイク)を駆って北海道に向かう途中であった。

林檎の匂いが香る津軽平野を、大好きな岩木山を眺めながら、

また、心地好い日差しを肌に感じながら、愛馬を馳せていた。


V・TWINが奏でるエンジンの音と、体中に響き渡る振動を受け

て、何とも言えない気分を満喫していたのである。

するとふっと、お寺の横にある墓地の中に、ひとりの老婆を見

掛けたのである。


一見、農婦だと思われる日焼けしたこの老婆は、汗を流しなが

ら、一生懸命に墓を磨いているのである。鉄馬を駆って進む俺

が、ふっと見たこの老婆の姿が、我が胸の中に強い印象となっ

て焼き付いて仕舞ったのである。

『 この老婆は一体、誰の墓を磨いているのだろうか 』と、俺

の思いは巡ったのである。


ともすれば老婆の亡くなった夫の墓なのだろうか。それとも若い

時に亡くした、息子、娘、の墓なのだろうか。または父母の墓な

のだろうか……。

何時しか近い将来、己自身が入るだろうと思われる墓を、この老

婆は磨いていたのである。


俺の心を魅了したあの美しい老婆の姿は、俺の心の中に『 日本人

っていいなぁ…… 』と言う感動を覚えさせてくれたのである。其

れは、老婆が墓に対して執着心を持っているからではなく、先祖

に対しての、畏敬の念を抱いている事を、俺に感じさせてくれた

様に思えたからなのである。


俺達は『 偶然 』に生きているのではなく、御蔭で生きているので

ある。己が偶然に、ひとりで生きているのでは無く、何千年という

歴史の中を、先祖の血を受け継いで、今の自分があると言う事を忘

れたくないものである。


先祖を敬う事こそ、其の先祖を与えてくれた、全知全能なる神を敬

う事に繋がって行くのである。人の御蔭を忘れるものは、神の御蔭

をも忘れるのである。


昨日は其の様な思いを巡らしながら、十字架を担いで、懐かしき津

軽平野を歩いた。雨が激しく降り注いでいた。

大好きな岩木山の姿は雨雲に包まれ、見る事が出来なかった。

さあ、今日は本州を歩く最後の日である。


『 命は尊いものである。

   自分だけのものでは無い。

      先祖から授かったものである。』

2012.8.14  アーサー・ホーランド 


<本日の予定>
青森市鶴ヶ坂山本 ➔ 青森港フェリーターミナル 

( 国道7号線・他 )


昨日の写真









| 旅先から | 09:49 | comments(1) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japan
12
今日 




《 勝 負 》


『 勝負の世界では、勝ち負けは付きものである。

   大切なのは、其の結果に至る過程なのである 』


オリンピックも閉会式を迎えた。涙と、感動と、手に汗握る二週

間も、幕を閉じる日が遣って来た。ある人にとっては、眠れる夜

が再び戻って来る。勝負の結果は分り易く、勝利の歓喜もあれば

敗北の悲しみに涙するものもあった。然れど、選手一人一人が全

身全霊で戦う其の姿は、我等の心を熱くしてくれたのである。


考えてみるとオリンピックの戦いは、二週間足らずで終わってし

まうが、我々の日常の戦いは死ぬ迄続くのである。

オリンピックも見方を変えれば、世の民主主義、また資本主義の

祭りの様にも見えなくは無い。


其処に勝者と敗者がいる限り、いくら平和の祭典と言えども、世

の中に流れる勝ち組や負け組の、価値基準の原型を垣間見せられ

る様な気もしないではない。何はともあれ、与えられた感動にケ

チをつけるのではないが、マスコミ達の選手の捉え方に違和感を

覚えるのは俺だけであろうか。


何れにせよ、選手達のオリンピックは終わろうとしているが、人

生の戦いは、彼らにも私達にも続いて行くのである。栄光の目標

に向かって突き進むアスリートの使命感、また其れによって求め

られる献身的な姿勢、そして、全身全霊をもって取り組む処から

産まれる体力や精神力。アスリートは身を以て其れをみせてくれ

たのである。


私達に取っては競技場が我が職場に代わり、ボクシングやレスリ

ングに似た、目には見えない格闘が、日々の生活の中で繰り広げ

られて行くのである。


十字架を担いで進む俺の挑戦も、今日から再び始まる。宗谷岬は

もう遥か彼方では無く、650km程先の地点にある。後、休みを入

れると、20日近く歩くだけの距離となった。気張らず驕らず一歩

一歩、じっくりまたゆっくり、目標を目差して進んで行きたく思う。

みなさんの気と祈りも、よろしく送ってください。


『 戦う場所が変わっても、戦いはこれからも続く。

   そして最大の戦いは、己自身との戦いである 』

2012.8.13  アーサー・ホーランド

| 旅先から | 12:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
Walk Across Japan
24
今日 


《 自 然 法 爾 》 (じねんほうに)


『 人は土から生まれ、再び土に帰るのである 』


明日は青森に戻り、昼辺りから再び歩き始める。本州の最終地点

まで、後30kmを残す許りである。明日と明後日は、足を慣らしな

がらの試運転である。

15日にはフェリーに乗って、いよいよ北海道の函館に入る。


『 千里の道も一足づつ… 』の心境である。正に、一歩一歩の『 積

み重ね 』なのである。人生は走り抜くのではなく、歩み抜くので

ある。焦らず慌てず、じっくりまたゆっくり、一歩そしてまた一歩

と、進めばいいのである。


『 塵も積もれば山となる 』では無いが、前を見据えて足を前に、

一足一足踏み出す行為が、此所まで俺を運んで来てくれたのである。

地味な、地道な、日々の行動の繰り返しなのである。『 忙しい 』

と言う字は心を亡くすと書くが、人が生活すると、何処か忙しくな

って心を亡くして仕舞うのである。


また亡くす心と書いて『 忘れる 』と読むが、己の存在価値まで、

忙しさは忘れさせてしまう程、己を見失わせて仕舞うのである。

『 忙しい 』と言う気持ちは、自然界を頓(ひたすら)歩いている

と、其の長閑さの中に、其の小川のせせらぎの中に、そして、其

の蝉の音の中に、溶かされ消し去られて仕舞うのである。


『 人は自然から離れた時に、病む者となった 』とゲーテは述べて

いるが、人は何処かで本能的に、鮭が大海原から川を上って、産ま

れた場所へと再び長い旅を終えて帰って来る様に、人も失った自分

自身を取り戻す為に、自然へと帰って来るのではないだろうか。


其処で再び自分の存在価値を取り戻し、本来の自分の『 在るべき姿 

』に立ち返ろうと願っている様に俺には思えてならない。

漱石は『 山道を登りながら 』考え、武蔵は『 まよいの雲の晴れた

るところ… 』と山奥で悟るのである。また、長明は『 岸辺に立って

川の流れ 』を見詰め、そして『 星の王子様 』で知られるA・サンテ

クジュペリは砂漠の中で『 ものは心で見る 』ことを知るのである。


貴方が忙しさを感じた其の時に、自然が貴方を招いていることを、忘

れることがない様に……。


『 自然が君を呼んでいる。

  「 此処で安らぐといい 」と君を呼んでいる 』

2012.8.12  アーサー・ホーランド

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Walk Across Japan
24
今日


 《 美 学 》


『 語らずにして語る。これぞ窮極の表現なり 』


あれは何時の日だったのであろうか、確か、浜松に向かって歩い

ていた時の事であった。其の日は、雨が激しく降り注いでいた。

十字架を担ぎながら、視界もあまり良く無い静かな田舎道を、只

頓(ひたすら)一歩一歩、俺は歩いていたのである。


すると、ひとりの男性が、雨の中を傘もささずに、濡れながら歩

み寄って、そして俺に「 アーサー・ホーランドさんですよね 」

と、問い掛けるのである。

十字架を背負って歩いていた俺は、立ち止まって、十字架を肩の

上から下ろして「 はい、そうですよ 」と彼に答えたのである。


其の瞬間、何と彼は俺に抱き着いて号泣して仕舞うのである。

何が起きているのかがさっぱり分から無い俺は、彼を抱き締めて

泣き止むのを待ったのである。


彼は、今年一月に心臓病を煩い、手術を受けたのである。退院し

た後、会社が経営難に落ち入り、将来に対しての不安に魘われて

鬱にまでなってしまったのである。何を信じていいのか分らず、

仕事も手に付かず、引き蘢り気味になっていたのである。


彼は、普段あまり車で走る事が無い一号線を、気を紛らわす為に

何気無くドライブしていたのである。すると其の一号線を、十字

架を担いで、北上しながら歩いている俺を見掛けたのである。


二年前に話しを聞いて俺の事を知っていた彼は、「 アーサーはこ

んなに頑張っているのに、俺は何をくよくよしているのか 」と、

衝撃を受け、「 俺も前向きに生きよう 」と心が熱くなったという

のである。


其の『 遣る気 』を起こさせてくれた俺に、「 有り難う 」と『 御

礼 』を、雨の中、言いに来てくれたのである。

不思議なもので、俺はそんな彼の境遇も知らずに、あの一号線をた

だひたすら歩いているだけだったのである。


何処で、誰が、如何、観ているかは、俺には分らない事である。し

かし彼にとっては『 無言 』で歩いている俺の姿が、彼の抱えていた

重い問題を乗り越えて行く為の切っ掛けになったと言うのである。

『 語らずにして語る 』を美学にしている俺にとっては、無言の姿だ

けでも、その存在感だけでも、何かが人に伝わるのだと言う、事実を

確認させられた出来事であった。


『 心に満ちているものは、野の花の様に、

   何も言わなくても、香りの様に漂うのである 』

2012.8.11  アーサー・ホーランド

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Walk Across Japan
13
今日


 《 読 書 》


『 これで終わりなのでは無い。これが始まりなのである 』


日本列島を、沖縄から北海道に向かって歩いていると、日々色々

な人達と出会う。『 一人の人との出会いは、百冊の本を読むの

に優る 』と言う言葉を、以前耳にした事がある。


読書好きの俺も此所半年近くは、ゆったりと本を読む事より、一

日中じっくり歩く事に時間を費やしている。本の頁を捲る代わり

に、日本の道をひたすら歩いているのである。


しかし歩く事も不思議なもので、読書の時の様に、考える、思い

巡らす、刺激を受ける、気付かされる、学ぶ、のである。自然界

を眺めているだけで、心は言い様のない感動を受けるのである。

魂は時空を越えて宇宙を巡るのである。


感性は研ぎ澄まされ、毛穴から『 いのち 』が体中に刺激となって

流れ回るのである。また、道中の人との出会いは、文学書を読んで

いる様に『 生きる事 』とは、と言うテーマを考え覚えさせられる

のである。


あれは何時の日だっただろうか、そして何処だったのだろうか、何

時の間にか知らない内に、歩いている俺の後ろに、小さな子供とそ

のお父さんらしき人が静かに歩いているのである。其の事に気付い

た俺に其のお父さんが「 しばらく一緒に歩いてよろしいでしょうか 」

と丁重に訪ねるのである。俺は「 勿論ですよ 」と答えたのである。


歩きながら其のお父さんは、自分の身の上を明かしてくれた。暴力

団の組織に居た事や、足を洗って風俗の仕事を経営していた事、其

処で働いている女性と一緒になった事、そして今、子供と二人だけ

で生活している事など……。


歩きながら色々な事、また様々な思いを、彼は俺に話してくれたの

である。自分の釦の掛け違いの人生が、必死に生きようとする彼を

悲劇の人生へと導いて行くのである。人の心は確かに善と悪の意識

があり、心のピュアーな思いは、どろどろとした欲望の世界へと身

を沈めて行って仕舞うのである。


しかし人は、沈んで溺れている時に、また苦しみもがいている時に、

初めて『 如何生きて行きたいのか 』と言う問いに、答えを見出した

いと思うのである。其の様な境遇の中に彼はいたのである。


歩きながら、本を読む様に、俺は彼の半生を読書した様に思えた。

人間は、自分の弱さや人の不条理によって、失敗や挫折、そして屈辱

の繰り返しを味わって仕舞うものである。俺は其の様な人に出会う度

に、またある時は俺に対してもこう言うのである。

『 これが終わりでは無い。これが始まりなのだ 』と……。


失敗もあれば遣り直しも出来る。それが人生である。

そして誰もが人生のストーリーであり、小説なのである。


『 誰一人として、無駄な人間はいない。

       一人一人がストーリーなのである 』

2012.8.10  アーサー・ホーランド

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