アーサーホーランド出演映画 「苦い蜜」公式HP
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不良牧師アーサーホーランドのブログ。

愛すること諦めること
   私はあなたを束縛せずに愛したい
   判定せずに称讃したい
   侵入せずに結ばれたい
   強制せずに誘いたい
   後ろめたさなしで別れたい
   責めることなく評価したい
   見下すことなく助けたい
   あなたも私に同じ様にしてくれたら
   二人は本当に出会い
   御互いを豊にすることが出来るでしょう

この文章はバージィニア・サターの「無償の愛」という詩である。
人は誰であれ愛し愛されたいものだ。
愛なんかいらないと言う人はいないだろう。
人間には生きて行くために空気が必要不可欠であるように、愛も同じである。
愛は映画、小説、歌の欠かすことが出来ないテーマでもあるが、
愛ほど人々によっての定義、解釈が様々なものもない。

冒頭の詩を読んでみて、あなたはどのように感じられただろう。
理想は束縛せずに愛したいと純粋に願うが、束縛してしまう私がいる。
判定せずに称讃したい思いはあるのに、判定して裁いてしまう自分がいる。
侵入せずに結ばれたいという心念を持つが、強引に侵入し結ばれようとする自分がいる。

私はこの詩を読みながら、理想とは裏腹に、現実は其のようになれない自分がいることを知り、そこで開き直って終うのではなく、その自分の弱さに「気づく」ことこそ心から願う「愛」の思いに一ミリでも近づける秘訣ではないだろうかと思う。

親鸞は比叡山の山奥に入って悟りを開こうとしたが、自力では悟りを開くことが出来ないと悟るのである。
どんなに自分が良い人になろうとしても、自分の内側から醜いものが溢れ出てくるのに気づいた時、「わたしはもうだめだ」と諦めるのである。
諦めるとは、ギブアップするというネガティブな意味で解釈しがちだが、
「明らかに究める」とも言えるのだ。
「究める」とは、深く追求して物事の本質や真相をつかむということでもある。

親鸞は自分の中にある弱さを認める意味において、明らかに究めたのである。
其の瞬間、ひとすじの光が彼に差しのべられていることに気づくのである。
光は常に差しのべられていたが、今まで気づいていなかっただけなのだ。


バラケルシスはこのようにのべている。

   何も知らないものは 何も愛せない
   何も出来ないものは 何も理解できない
   何も理解出来ないものは 生きている価値がない
   だが 理解出来るものは 愛し、気づき、見る

ある者により多くの知識がそなわっていれば、それだけ愛は大きくなる。
すべての果実が苺の時期に実ると思っているものは、
葡萄について何ら知らない者だ。

私達は知っていることより、知らないことのほうがはるかに多い。
また理解していることより、はるかに理解していないことのほうが多い。
愛についても生きることにおいても、また自分自身に対しても、今年一年が今まで以上に、自分に対して知り理解する一年でありたいと願う。    



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