
《 井 戸 水 》
『 愛とは立ち止まることだ。
ある一人の前にしばし立ち止まることなく、
時間を使うことなしに、愛を交わすことは出来ない 』
マックス・ピカート
世の中は忙しくなった。また騒がしくなった。何かを為し遂げること。
儲けること。利益を上げること。人を押し退けて這い上がって行くこ
と。人に認められること。アピールすること…
人は目標を掲げて必死に生きている様である。
大阪の心斎橋の 『 通り魔事件 』 のニュースを聞いて怒りと悲しさ、
また儚さを覚え言葉にならなかった。世の中は明るいニュースよりも
暗い悲しいニュースの方が多いと感じるのは俺だけだろうか。二人の
被害者の家族や親族、また友達のことを思うと無念で溜息しか出て来
ない。これから後、犯人の動機や他の事が警察や報道によって伝えら
れてくるのだろう。しかし其れがどうであれ、失われた尊い命は戻っ
てこないのである。
世の中は余りにも不条理に出来ている。でも其の不条理は其の世に暮
らす人間によって生み出されているところが多いのである。人間は犯
罪を犯さなくても、自己中心的な性格を其々が中に秘めて持っている。
『 心に満ちているものが外に出る 』 と言う言葉があるが、心に穏や
かさを持っていない人は、生き方に於いて穏やかさを現すことは出来
ない。心の風景が我々の表情の景色になるのである。本来人の心は愛
を味わい愛を流し出す井戸の様なものである。
今は水道があるが、昔の人は井戸の水を頼りに生活していたのである。
井戸が涸れてしまうと人は生きて行けないのである。井戸の水は地下
から沸き上がって来るから飲む事が出来たのである。砂漠地帯の中東
は何千年も前から生活の中に井戸水の存在があった。町中の人が水を
求めて井戸のある場所までやって来たのである。水を汲むのにも時間
は掛かったし、また労力も求められた。
水は咽を潤し、汚れを洗い流し、食事や洗濯、また身を美しく綺麗に
するためにも必要不可欠であった。時代は変わり、今は便利な時代に
なった。しかし其の便利さが逆に、人々にとって大切な事を見失わせ
てしまったのかもしれない。『 物や事 』 が人以上に大事になってし
まい、人間の尊厳までもが無視される様な時代になってしまった。
人の欲望が、会社の繁栄のために人を道具にしてしまい、人の欲を満
たす手段にしてしまったのである。
冒頭のピカートの言葉は、愛には立ち止まることが大事であり、愛に
はしばしの時間が必要であると語っている。忙しい中、好きな人とし
ばしの時間をとる事は決して悪い事では無い。騒がしい時こそ立ち止
まって落ち着く一時を持てばいい。時間に振り回されて、己を見失っ
てしまい易い時代だからこそ、決して無くしてはならないものがある
ことを忘れてはならない。
『 人生であなたが何をするかはどうでもいいのです。
大切なことはただ一つ、あなたがすることを、
愛の心をもってすると言う事です 』 先人の言葉
『 愛は人が人として到達できる、究極にして最高のものである 』
V・フランクル
『 しばし立ち止まる人は愛に潤される。
其の様な人は、愛を人に注いで行く 』
2012.6.15 アーサー・ホーランド





